老いの何だか切ない日々のポエム画廊喫茶

朝起きて今日一日が始まるコーヒーを淹れるときめき。残りの人生、毎日全力投球。

~回想~京都での生活④

田舎でも東京に居た時も、僕は天丼を知らなかった。
食堂でサンプルを見てはいたと思うけど、他の物に目が行っていたのだろう。
それが、天丼に目が行くようになって初めて食べたのが京都の食堂だった。
入り口付近にあるサンプルの天丼。その位置は上の段にあった。高級クラスの段だ。
大きなサイズに大きな魅惑のシッポ。「今度の給料日にはきっと食うぞ!」と思っていた。
その日は、別の「これは何だ?」と名前に誘われて食べたのが木の葉丼。
ワクワクさせるネーミングのわりにはお粗末だった。刻み海苔を木の葉に見立てていたのだろう。具は他に、かまぼこを薄く切ったのと、おアゲさん(京都はアゲに、さんを付けて呼ぶ。伏見稲荷があるため?でも他にも、さん付けで呼ぶ。)が入っているくらいだった。値段が値段だったから。かけてる出汁の味は良かったと思う。


さて、待ちに待った給料日。
安い給料(修行の4,5年くらいまでは、一般の給料とは程遠い金額だった。)の中から、その日だけの清水の舞台から飛び降りる気持ちで奮発した贅沢だった。(ちょっと大げさ。)
いつもサンプルの天丼を憧れの眼差しで見ていた食堂の暖簾を、逸る心を隠して三船敏郎のように分けて入った。「いつもの天丼にしようか。」と言った口調で主人に注文した。
やがてテーブルに運ばれて来た大きなエビが2つ載った天丼。溶き卵のツユだく目な感じで、天丼全体に風格さえ漂わせていた。
「いつもの天丼を食べるとするか。」と言う顔して、割りばしを取って「どれどれ」と食べ始めた。(本当はガッツク気持ちだったけどね。)
と、と、と、?マークが頭の中に3つは並んだ。「???」
噛んだ衣に、中身が無い!柔らかい衣だけだった…。
この時のショックは今も心の隅に残っている。僕の心を打ち砕いたんだ。
大きなエビのシッポに、齧った残りカスみたいな小さな身…。
この時の映像もショックで残っている。エビショック障害として。
僕は涙が出て来た。なんでだろう。これは何かの間違いではないだろうか。たまたま主人がよそ見していてうっかりと身のないシッポだけ揚げてしまったんだ。
と、本当にそう思い、奥へ訊きに行こうかと迷ったほどだった。


 後に、訊かずに行かなくて良かったと思ったが、あの悲しみは、エビのシッポだけにしばらく尾を引いた。
それから僕はもう天丼を注文することは無かった。職場で残業の時にとってくれるなべ焼きうどんのエビに、初めから騙されることもなく。
しかし、ある日曜日。京都会館の近くのレストランのサンプルの天丼にくぎ付けになった。
それは、衣からエビがはみ出ていたのだ。クッキリと、赤い独特の模様が大きくプリプリとした感じで。
僕は、騙されてもともとだと言う決意で荒野の用心棒のように、そのレストランに赴いた。
猜疑心の塊と化した目でウエイトレスに「ガルル」と吠えていたかもしれない。
それで「これは衣だけのエビを出したら危ないぞ。」とチーフが思ったと思う。
出て来た天丼は期待を裏切ることなく、サンプル通りのプリプリしたエビの天ぷらだった。
この日、ようやく僕の心は茶を立てるような穏やかさを取り戻した。(^^♪