老いの何だか切ない日々のポエム画廊喫茶

朝起きて今日一日が始まるコーヒーを淹れるときめき。残りの人生、毎日全力投球。

流れない記憶のありて木の芽雨


昨日の続きです。(昨日の記事は削除しました。)


すごい速さで「死ね!死ね!」と突いて来るのを、こんなことあり得ないと思いながらも、本物の包丁を見て、刺されないように、突いて来るのに腹をかすられ身を引くのがやっとです。
サンダル履きだった僕は、少し湿ってた土にツルッと滑って寝た格好になってしまいました。男は僕の上に跨りました。そして包丁を顔の上に下ろそうとして来ます。一か八かで、振り下ろしてくる手首を右手で掴みました。掴んだ時に親指と人差し指の間を、包丁の柄に近いところで切ってしまいました。顔に血が垂れ続けますが離せば顔に突き刺さります。必死でした。
この時、殺されてしまうのか。でも、殺されてたまるか。こんなことで死にたくない。と思いました。じりじり顔に包丁の先が近づき、首をかすめます。この時、少し切られていました。
どうすればいいんだ!どうすれば!と考え、祖母と父の顔を思い浮かべて助けを求めました。そして、いつかテレビで見た方法を試しました。掴んでる手首を、力をふりしぼってねじりました。すると男は包丁を落としました。そして僕がその包丁を握って反撃に出られると思ったのでしょう。男は立ち上がると、傍にいつも停めてる自転車を抱えて僕に投げつけようとしました。
この時、僕の手は包丁を拾って掴む力を無くしていました。それに気づいた僕は、反撃するぞと思わせる「この野郎!」と声を出して、寝てるままに片足で、蹴るようにしたのです。
それに驚いた犯人は自転車を手荒く下ろすと走って逃げて行きました。
ここからが必死でした。起き上ろうにも腕の力が抜けてしまっていたのです。左は全く力が入りません。血だらけの右手を着いて、身体をどうにか起こして立てました。
かすった首の傷が、神経を切られていたのでした。あとほんのちょっとで頸動脈に達するとこでした。
その後、救急車で病院に運ばれて応急処置で縫ってもらいました。そして詳しく診てもらうため、医大へ行くように紹介状を書いてもらいました。MRI検査です。
「手術すれば治るかもしれません。」でも、失敗すれば寝たきりになるかもしれないと言う、頚椎の手術です。
そんなに大変な手術なのか?と思いました。
結局、手術を諦めました。


一か月ほど入院しました。ほとんど動かない左腕のリハビリと気持ちを落ち着かせるためです。頭の中が踏み荒らされた感じになっていましたからねえ。
こういった事件、多いじゃないですか。テレビのニュースで見ますね。僕のような六十(よく思い返してみたら、もう10年ほど経っていました。)の男でも整理つかないのだから、子供や女性はなおさらです。毎日、事件のあった時刻に目が覚めてしまう日が数年間つづきました。
医者から「神経を切られたから手術しなければ動かない。」と言われたけど、半分は回復しています。初め、両手でタオルを持つことが出来ず、風呂で背中を洗うのなど困ったけど。シャツなど着るのは今も袖を通しにくいけど着れています。左手でコーヒーカップを口へ運ぶのも今は何とか動かすことが出来るようになっています。肘を曲げる筋肉が突っ張ります。真っすぐに上に伸ばすのは出来ません。握力が衰えました。ジュースなどのボトルの硬いフタは開けられず、フタの境い目に、カッターナイフで切込みを入れて開けてます。
事件のすぐ後に警察官が何人も来ました。この調査が大変なんです。調査書を書くまでゆっくりさせてもらえません。
猫も大変でした。大勢の人に驚いて逃げていたのでしょう。みんな帰ってしまってから、心細い鳴き声で不安気におそるおそる帰って来ました。そして僕の顔を見ると安心したようです。膝に飛び乗ると、身体中で抱きつくようにして、顏を僕の脇にギューギューと埋めるようにしていました。
そんな猫も亡くなって3年です。



 明日へと靴の軽やか木の芽晴