老いの何だか切ない日々のポエム画廊喫茶

朝起きて今日一日が始まるコーヒーを淹れるときめき。残りの人生、毎日全力投球。

俳句「白木蓮」


手術後や空へ空へ白木蓮
リハビリを終へひととき白木蓮



僕のこれまでで一番の大手術でした。
もう10年以上経ちました。いろいろ障害は残ったけど、寝たきりにならずに躓きながらもどうにか歩けています。少しの間、車椅子を使いました。それも貴重な体験です。
どんくさい自損事故で、気がついたら首にギブスをされて隣県の病院のベッドの上でした。動こうにも手がどうにか動かせるほどで、会社に携帯で電話を必死に指を押してかけました。
3ヶ月の入院と、3ヶ月のリハビリでした。暮れに入院したから春はずっと病院でした。窓から遠くの桜を見てたっけ。
手術をしてくれた先生はまだ若い先生でした。必死になってしてくれたのだろうと思います。11、2時間かかったと後で知らされ驚きでした。それだけ難しい頚椎の手術です。心の正しい先生です。正しいか濁った心の先生かは、長いこと入院しているとベッドからひと目で見えて来るようになって行きました。感覚が研ぎ澄まされて行ってたのでしょうね。心正しい看護婦もいれば、悪魔の手先みたいな看護婦もいるのはこんにちのニュースでも知ることでしょう。


手術後、麻酔から目が覚めて息苦しさを覚えました。
どこか、別室に移動式のベッドに酸素マスクをされた状態でした。その酸素マスクの酸素が薄くなって行くのを感じました。どんどん苦しくなって行き、もがきました。酸素マスクを外そうとするのだけど、腰の辺りをバンドか何かで固定されていて手を顔に伸ばせないのです。誰も傍に居ないようなのです。ほんとにもう必死でした。バンドの下から何とか腕を伸ばせました。酸素マスクを外せました。息をつけました。すると看護婦が2人慌てた様子で「何してるんですか!」と怒ったような声で駆けつけて来たかと思うと、歯医者で治療中に口の中を吸う機械がありますね?ああいう感じで口の中に吸い口を入れて吸い込んでいました。タンも出ていなかったのに。
このことを後に回想しました。何度、思い返してみても不可解です。マスクを外した時、普通は「どうしましたか?どうしたのですか?」と言って来るはずだと思われるのです。
変ですよネ😂こんな感じで酸素マスクを止められて死んで行った人は1人2人じゃないんじゃなかろうと思うのです。