老いの何だか切ない日々のポエム画廊喫茶

朝起きて今日一日が始まるコーヒーを淹れるときめき。残りの人生、毎日全力投球。

青春は傷つきやすし冬苺

プーさんの皿に盛りたる冬いちご
カップの方は落っことして欠けてしまいました。プーさんのカップでコーヒー飲むのが楽しみだったけど。_| ̄|○


チョコパンに挿む目覚めの冬苺
あれは恋だったのかしら冬いちご
冬いちご酸っぱさ沁みる片思ひ
忙しさや一息入るる冬苺
のんびりと歩いて行かう冬苺


 いちご大福を真似てみました♪う~ん。悪くない。あんこと合うけど、チョコと苺も合うみたい。
 もう表紙がボロボロの俳句ノートが出て来て懐かしく捲って見ました。15、6年くらい前のものです。恥ずかしいような句ばかり。俳句を始めた頃は「かな」と「や」の切れ字を1句の中にどっちも使ってたりしていました。基本的に切れ字は、1句に1つです。この失敗はよくあるようです。プレバトで加藤登紀子さんも初めに、やらかしています。
俳句雑誌だったか「俳句は句会に入るのが一番の上達の近道です。」といった記事を読みました。
それがいつも引っ掛かっていたある時、公民館で俳句の会があるのを知ったのです。それで訪ねました。
12,3年前になるでしょうか。主宰者が亡くなって解散するまで続けました。
地元にもう一つ俳句の会があって、そこへ移って行った人もいましたが自分は区切りをつけました。他所の句会へ入る気にはもうならなかったのです。
花見の頃は毎年、料理屋で兼題の「桜」で詠んだ句会を料理を食べつつするのも楽しかったけど。
続けて行くうちに溜まって行ったものが出来たのです。
それは、季語に冒険しない。ありきたりの季語だ詠む人が多い。破調、句またがりの句は詠まない。季語は、あくまでも1句に1つだけ。などが大きな要因です。
主宰者は575の形にこだわっていました。
地方の句会は似たり寄ったりかもしれませんね。
その後は、テレビの俳句番組で勉強しています。夏井いつきさんの番組やNHK俳句です。NHK俳句は、昔のやり方の方が好きですね。夏井いつきさんの番組で、季語を2つ使うにはどうしたらいいのかと、強弱の付け方を学びました。昔の俳人は季語を2つで詠んでるのを多く見るけど、現代は基本として1句に1つです。
プレバトは勉強になります。時々、首を傾げることもあるけど。番組ですから。😁😹