老いの何だか切ない日々のポエム画廊喫茶

朝起きて今日一日が始まるコーヒーを淹れるときめき。残りの人生、毎日全力投球。

小椋佳さん、ありがとう。

小椋佳が今年で引退するようだ。
病気で何度か入院して来て、健康ではなくなって来てるらしい。
「出来れば苦しむことなくスッと死ねたら。」と先日、ラジオで冗談ともなく語っていた。
体力的に限界らしい。
僕が小椋佳の歌をアルバムで初めて聴いたのは、二十歳の頃だった。
東京は王子の線路沿いにあった三畳一間のアパートで。
レコード屋でアルバムを見ていて、女の子が小さい花束か何か抱いてるジャケット写真に何となく。「まだ知らない歌手だな。どんな歌だろ?どんな声だろう。」と裏の曲目のタイトルに惹かれて買って帰った。アルバムのタイトルは「帰っちゃおかな」
アパートに帰ると、さっそくステレオとは名ばかりのプラスチック製のステレオで聴いた。(プレーヤーですね)真新しいLPレコードにワクワクと針を落とす。
伴奏が始まり、聞こえて来たのは、女の子の声ではなかった!「ええっ!?」と思ったけどすぐに声に惹きつけられて行った。初めて聴く歌ばかりだけど、歌詞に惹きつけられた。
その後、「ほんの二つで死んで行く」「彷徨」「六月の雨」を買って行った。
解説のページかに載ってた小さな写真で初めて顔を見た。
声がいいから「そうか。これが小椋佳か。」と思ったくらいだった。
この頃の初期のアルバムが特に好きだ。瑞々しくて。



公園に来て 小椋佳