老いの何だか切ない日々のポエム画廊喫茶

朝起きて今日一日が始まるコーヒーを淹れるときめき。残りの人生、毎日全力投球。

~回想~京都での初めての生活


22歳だったろうか。
もう47年前になるのだなあと思う。
千本丸太町を少し上がった所にあった下宿屋。
会社の先生(友禅の師匠。現代では先生と呼ぶ)が借りてくれた。
1階は年寄りの大家夫婦が住んでいた。
その2階を貸していて、4部屋か5部屋あった。
階段を上がったすぐのところにある道路沿いの部屋だけが四畳半で、あとは三畳であった。
三畳間は二年近く住んでた東京で慣れてはいた。
だけど、どうしても馴染めずに慣れなかった。
それは六畳間を縦に仕切って三畳間にしたようであったため、窓が無かった。
窓のない部屋での生活には、どうしてもどうしても馴染むことなんか出来なかった。
日曜日に、昼間でも電気の灯りでの生活なんて憂鬱でつらかった。自然の光が欲しかった。


四畳半の部屋は、少し年上の栃木出身の先輩が住んでいた。
テレビを持っていて、僕は持ってなかったから毎日のように訪れた。
その友だちの兵庫県出身の、大学に7,8年行って卒業した彼ともすぐに友だちになった。立教大学だったと思う。
卒業してどういうわけか別の、友禅の下絵の先生に弟子入りしていた。
まだ一年目で、太秦の先生の家に住まわせてもらってるようであった。どういった伝手で弟子入りしたのかは聞かなかった。
二人ともタバコをよく吸うのにはちょっと困ったが、少し窓を開けてしのいだ。
この頃、20分ほどの連続放送の「テレビ銀河小説」に夢中になって3人で見ていた。
「若者たち」という、永島慎二の原作で、漫画で以前に読んでいた。
永島慎二は、初めて読んだ15,6歳の頃からのフアンであった。
大学に7,8年行ってた彼も永島漫画のフアンであった。
ストーリーはよく思い出せないのだけど、うだつの上がらない若者4人が四畳半でろくに働きもせずピーピーと毎日暮らしていた。
どこかに自分たちと重ねて見てたのかもしれない。



(その一年後くらいにラジオで聴いた曲です。一緒に働いていた奈良県出身の2つ年下の女の子がLPを買って来て、会社の(ふつうの家です。下に先生と奥さんとマルチーズが1匹住んでいました。))2階の工房でかけて聴かせてくれました。

下宿屋