老いの何だか切ない日々のポエム画廊喫茶

朝起きて今日一日が始まるコーヒーを淹れるときめき。残りの人生、毎日全力投球。

玄関を開ければ迎ふ実千両

 千両の畝傍山へと続く道
 能楽の歌舞練場や実千両


若い頃、能などちっともわからないのに歌舞練場に何度か見に行きました。きっかけはよく思い出せないのだけど、能衣装に惹かれたように思い出します。能衣装や歌舞伎の衣装に魅力を感じていたのです。
千両、万両も昔のことを思い出します。正月に訪ねた家で初めて見た記憶を引っ張り出しました。玄関の下駄箱の上に黄色の千両が活けてあったのを、頭にはっきり焼き付いています。全く興味もない頃だったのに焼き付いているのは、生き生きとしていたのが心に触れたのでしょうね。
後々、「あんなふうで、花を活けたりするんだな。見かけによらずロマンチストかも。」と、ずっと後に思いました。


 万両やここの主人はへそ曲り
 偏屈の大事にしたる実万両
 偏屈の機嫌良き日や実万両
 万両や老いても色を摘みゆく
 万両や九十歳の漁師をり


最後の句は、番組「北の果て一人生きる 浜下福蔵92歳」を見て。北海道は、礼文島。そこに、鮑古丹という集落があります。
かつては鰊漁でにぎわっていたけど、獲れなくなって今は92歳の浜下福蔵さん一人住んでいます。
「カモメがいないんだもの。」と、魚の減った海を寂しそうに眺めています。嫁さんを10年ほど前に亡くして。
息子夫婦が近くの集落に住んでいます。
91歳までは息子夫婦と船に乗って毎日、漁に出ていたのですが、足腰の衰えを感じて船に乗るのをもう断念したのです。
「動こうと思っても体が動かねんじゃもの。こんなんでは船に乗って、波が来たら体をかわせない。」
「こんな情けないことはない。こんな言葉では言い表せないほど情けない・・・」
と、自分の体の衰えの情けなさに、涙が零れていました。
父親のあとを継いで、20歳から70年間船に乗って漁師をして来た福蔵さん。
今は毎日、筆で漁師日記を書き続けています。そして感じたことを詩にしています。納得の行くまで毛筆で。
毎朝、息子夫婦の大漁と無事を祈って、嫁さんがいつも腰を下ろしていた切り株の傍で海を見ています。
短い初夏の礼文島は見たことのない花々できれいでした。


今日のウツは昨日よりも少しマシです。
モタモタは変わらずで、今日も気づけばもう夕方です。