老いの何だか切ない日々のポエム画廊喫茶

朝起きて今日一日が始まるコーヒーを淹れるときめき。残りの人生、毎日全力投球。

たんぽぽがここに咲かせてねと咲いてゐる


原点にかえってみた。
俳句は、初めに惹かれたのは山頭火だ。
まだ俳句も何も興味のなかった小学生の時、週刊漫画雑誌「少年マガジン」に山頭火の漫画が連載されていて。今思えば珍しい企画連載だったと思う。けっこう人気があったように思う。
575の俳句との出会いは、中学の国語が初めだった。
一茶と芭蕉の句は情景が浮かんで沁みた。


そしてやはり永島慎二漫画の影響で詩に目覚めて行った。永島慎二の漫画そのものが詩的だった。
その後、武者小路実篤に夢中になった。中学の教科書に「馬鹿一」が載ってて、ふと思い返して読み始めたと思う。
それから、何故だか太宰治に夢中になってしまった。このパターンはよくあるようだ。背伸びしたい年頃に。
それから遅れて宮沢賢治に夢中になった。新美南吉にも。
俳句は全く興味がなく、まだ知らない詩集を探して心惹かれる詩集を見つけるとワクワクしたものだ。


 年を経て、なんとなく俳句もどきをノートに書き始めた時、やはり山頭火が好きで、自由律に惹かれた。それは型にとらわれない、まさに自由であるから。
それで思うままに時おり浮かんだのをノートに書いていたけど、やはり俳句の基本を学ぼうと思うようになり、地元の句会に入れてもらった。初めは緊張の日々だったけど少しずつ慣れて行った。何年続いただろう。主宰者が病気で亡くなって、解散となって今日に至る。多くのことを学んだと思う。



 遠い幼き日の味よ椿の蜜
 亡き人の顔つぎつぎと暮の春
 少しずつ少しずつポンコツになってゆく